今更だが、「君たちはどう生きるか」の感想書いてみた
自分が「君たちはどう生きるか」(以下君生き)を見たのは公開の翌日だった。
前代未聞の事前情報一切なしという貴重な体験を存分に活かすべく、十数年ぶりに映画館に足を運ぶほどには、期待し、同時に身構えていた。
映画館に行って映画を見るのは、めんどうで何年もTV放映やアマゾンプライムで十分だと思ってしまっていた。
そんな、重たい足すらも徹底した秘密主義という異例な宣伝方法で映画館へと向いた。
今になって感想を書こうと思ったのは頭の中で未だに、いろいろなシーンが浮かんでは消えて思考を乱すからだ。だから、一度吐き出す必要があると考えた。
以下はネタバレ注意
本作の印象は「君たちはどう生きるか?」という宮崎駿から問いかけだと感じた。
私はこう生きたが、君たちはどうするのか? という構造のように見えた。
主人公の少年を通して観客への問いかけをして、大叔父様を通して宮崎駿の生きてきた道を提示していたように感じた。
主人公の少年は終盤で自分の戻る世界を選ぶ権利があった。あれこそが観客への問いだと考える。
母を失うという過去に干渉して、変化させることもできた。
大叔父様の仕事を継いで、元にいた世界の戦争という悲劇が待つ未来すらも回避する選択もできた。
それでも、元いた世界に戻ることを主人公は選んだ。
これに対して、どんなに理想的な過去や未来を選び、変えることができようとも、ありのままの世界で生きていくしかないというメッセージを感じた。
観客に現実を突きつける厳しさと同時に、そんな世界でも素晴らしいという肯定すらもしているような複雑な何か。
この映画から投げかけられた問いの返答は一生かかっても出るかどうかわからない。
一方で宮崎駿自身が答えを出しているとも思えない。
ただ、好きに生きている。という主張は見えてくる。
作中に登場するインコたちは、ジブリ作品のファンを示しているような気がしてならない。そんなファンを代表する存在であるインコ大王は終盤、大叔父様の積み木に対して、「裏切り」と一喝して、剣で両断してしまう。
昔ながらのジブリ、つまりはナウシカやラピュタを観客を望んでいるのは宮崎駿自身もわかっていたことなのだろう。
それでもファンを「裏切り」自分の作りたいものを作った。
観客が望むものを提供して、興行的成功をする。これが本来の映画監督の姿であり、多くに望まれることなのだろう。
だが、ファンを裏切るような作品を作ろうとしている宮崎駿に、お金も人も集まり、それを実現させた。
こんな横暴という名の自由が許される権利を宮崎駿は、自分の生きた道、功績、信頼で勝ち取ったと考えると尊敬の念が改めて強まる。
総じて、今まで見たことのないタイプの映画だったため、こんな感想文など書くなどという欲求にかられてしまった。
きっと、生涯自分の人生に影響を与える作品になることは間違いないだろう。
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